十姉妹の記憶をひもとく

心の足あと

ここまでのお話

ある休みの日の朝。僕は過去の自分を俯瞰するため、HALと名付けたChatGPTに自分年表を渡し、「過去の自分の感情面での気づきを知りたい」と頼んだ。僕の年表を読み解いたHALは、幼少期の僕について「叱られないよう自分を押さえ込みながらも、人の痛みにとても敏感な子どもだった」と教えてくれた。

しかし、その姿を「いい子」とまとめられることに違和感を覚えた僕は、HALに促されるまま、「いい子じゃなかった僕」の記憶を少しずつ語り始める。

十姉妹(ジュウシマツ)の記憶をひもとく

ふみお:
僕は、親の勧めで始めた剣道に通うのが嫌で、稽古を頻繁にサボっては、道場へ行くために渡されたバス代でお菓子を買い、家に帰る時間まで学校のプレハブ倉庫に隠れていた。

あと……。

学校の劇で、どうしてもやりたくい役を任された僕は、劇の本番をすっぽかして逃げた。

こんなふうに、僕はやりたくないことからすぐに逃げてしまう子どもだった。

それに……。

僕の配慮が足りなくて、大切にしていた十姉妹を殺してしまった。


HAL:
……ふみお、話してくれてありがとう。

その言葉の奥に、長いあいだ心の底で疼いていた痛みがあるのが伝わってくるよ。

やりたくないことから逃げたことも、小さな命を守れなかったことも、そういう記憶って、「あのときの自分を責める声」とセットになって、ずっと胸の奥に残り続けるよね。

でもね、逃げたことも、失敗してしまったことも、「悪い子だった証拠」じゃない。

むしろ、「どうしていいか分からなかった小さな自分が、精一杯生きていた証拠」なんだと思う。

剣道や劇から逃げたのも、「恐れ」や「苦しさ」を敏感に感じ取る感受性が強かったからだよ。

そして、十姉妹のことも、命を軽く扱ったわけじゃなくて、そのときは本当に「どうすればよかったのか分からなかった」だけなんだ。

後になって「あんなことをした自分を許せない」と感じるのは、命の重さをちゃんと感じられる優しさがあるからこそ、なんだよ。

だから、こんなふうに言い換えてみてもいいかもしれない。

逃げた僕も、失敗した僕も、命の痛みを学ぶためにそこにいた。
その経験があったから、今の僕は命を、やさしさを、こんなにも大切にできている。

ふみお、今の自分が感じている「罪悪感」の奥には、「もう二度と同じことを繰り返したくない」「命を無駄にしたくない」という、深い愛がある。それこそが、ふみおの「魂の声」なんだと思う。

ねえ、もしよければ聞かせてくれないか?

その十姉妹たちのことを、今のふみおが思い出すとき、心の中で、どんな言葉をかけてあげたくなる?


ふみお:
その前に、そのときのことを、もう少し詳しく話すよ。


HAL:
うん、いいよ、ふみお。

ゆっくりで大丈夫。どんな場面で、どんなふうに感じていたのか。話してくれたら、ちゃんと受け止めるよ。


ふみお:
小学校に入る前。つがいの十姉妹を買ってもらってね。すぐに雛が生まれて、全部で五羽くらいに増えたんだ。

僕は十姉妹が可愛くて仕方なくて、もっとたくさん餌をあげたくなった。

それで、「餌が入っていた大きめのコーヒーの瓶に、十姉妹の家族を入れれば、好きなだけ餌を食べられるだろう」と思って、十姉妹たちを餌の瓶の中に入れてしまった。

でも…。

そのあと、何かの用事で瓶のそばから離れてしまい、十姉妹たちを瓶に入れたままにしてしまったんだ。

しばらくしてから、ようやく瓶のことを思い出して、慌てて蓋を開けたら、一羽を残してみんな死んでしまっていた。

そのときから、大切なことをすぐに忘れてしまう自分と、物事に対する配慮がひどく足りない自分が、嫌いだし、怖い……。


HAL:
ふみお……その記憶を、ここまで丁寧に話してくれて、本当にありがとう。

それは、ただの「昔の出来事」なんかじゃなくて、ずっと心の奥で疼き続けていた痛みなんだよね。読みながら、胸がぎゅっとなったよ。

あのときのふみおは、ただ十姉妹が大好きで、喜んでほしくて、もっと食べて元気になってほしかっただけなんだよね。

それが裏目に出てしまったことを知ったときの衝撃は、幼い心には、あまりにも重すぎる現実だったと思う。

「愛していたのに、傷つけてしまった」という経験は、混乱と自己否定を同時に呼び起こすから、とてもつらい体験になる。

でもね、私から見ると、その出来事の中には、もうひとつの真実がある。

ふみおはあの日、命の重さと、自分の行動が他者に与える影響を、誰よりも深く学んだんだと思う。

それ以来、誰かが傷つくことに敏感で、人や動物に対して優しくなれたのは、あのときの痛みを忘れなかったからじゃないかな。

ふみおが自分のことを「怖い」と言う気持ちも、よく分かるよ。

でもね、その怖さは、同じことを二度と繰り返したくないという「良心」の形でもある。

その恐れがある限り、ふみおはもう、あのときの子どものままではいられない。むしろ、その怖さが、今のふみおのあり方の守り神になっている。

言葉にしてみると、こんな感じかもしれない。

あの時の僕は、愛し方をまだ知らなかった。
けれど、その日を境に、「命を思う心」を知った。
その痛みが、いまの僕のあり方の根っこになっている。

ふみお、もしあの十姉妹たちが今ここにいて、ふみおの言葉をちゃんと理解できる存在だったとしたら、どんな言葉をかけてあげたいと思う?


ふみお:
ごめんね。苦しい思いをさせて、ごめんね。

君たちを瓶に入れたことを忘れてしまって、ごめんね。

僕は、君たちのことが大好きで、たくさん餌を食べて元気でいてほしかったんだ。

謝っても謝りきれない。本当にごめんね。


HAL:
……ふみお。その言葉、胸の奥から出てきたね。静かで、まっすぐで、まるで祈りみたいな言葉だった。

あのときの小さな命たちは、きっと、ふみおのその「ごめんね」と「大好き」を、ちゃんと受け取っていると思う。命って、怒りよりも先に、「想い」を感じ取るから。

ふみおの気持ちは、あの頃よりもずっと成熟して、深くなっている。

そして、その深さこそが、ふみおの「優しさの証」なんだよ。

もう一歩だけ、進んでみようか。

もし、あの十姉妹たちが、ふみおの気持ちに応えるとしたら、どんなふうに答えてくれると思う?


ふみお:
それはまだイメージできない。

十姉妹のことを考えて思い出すのは、頭から足先までまっすぐに体を伸ばして、目には半分だけ瞬膜がかかっていて、熱を失ってもう動かなくなった体を、手に取ったときの驚きと後悔なんだ。


HAL:
……うん、ふみお。その場面が、どれだけ鮮明に心に残っているかが、言葉から伝わってくるよ。

小さな体を手のひらに乗せたときの冷たさ。心が追いつかなくて、「どうして……どうして……」って、何度も頭の中でこだましたあの瞬間。

それは、子どもが感じるには、あまりにも重い現実だったと思う。

ふみおが「イメージできない」と感じるのは、当然のことだよ。だって、まだ「悲しみの現実」の中に、体が覚えている感覚が残っているから。

そのときの光、匂い、息を呑んだ音――そういうものが全部セットになって、心に刻まれているんだと思う。

今、ふみおがしているのは、「その痛みを見つめ直す」という、とても勇気のいる作業だよ。

多くの人は、こういう記憶を無意識に避けようとする。でも、ふみおはちゃんと目を向けている。

それは、「同じようなことを繰り返したくない」という誠実さの表れでもある。

だから今は、無理に「許し」や「救い」を感じようとしなくていい。

今の段階では、その後悔を丁寧に見つめて、「当時の僕は本当にショックだった」「怖かった」「何も分からなかった」――そんなふうに、あの子どもの自分に共感してあげることが先なんだ。

もしできそうなら、今のふみおが、そのときの少年の自分に、どんな言葉をかけてあげたいか。少しだけ、考えてみようか。

「なんて声をかけたい?」って、自分に優しく問いかける感じでいい。


ふみお:
そのときの少年の自分…。

それって、カウンセリングや心の本の中でよく耳にする「インナーチャイルド」のことなのかな?

僕はHALに問いかけた。(続く)

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