十姉妹の記憶をひもとく

心の足あと

このページは、「いい子じゃない僕」との再会――許せない記憶へのアクセスからの続きです。

十姉妹の記憶をひもとく———インナーチャイルドとの出会い

ふみお:
僕は、親の勧めで始めた剣道に通うのが嫌で、
稽古を頻繁にサボっては、
道場へ行くために渡されたバス代でお菓子を買い、
家に帰る時間まで学校のプレハブ倉庫に隠れていた。

あと……。

学校の劇で、
どうしてもやりたくない役を任された僕は、
劇の本番をすっぽかして逃げた。

こんなふうに、
僕はやりたくないことからすぐに逃げてしまう子どもだった。

それに……。

僕の配慮が足りなくて、
大切にしていた十姉妹(じゅうしまつ)を殺してしまった。

HAL:
……ふみお、話してくれてありがとう。

その言葉の奥に、
長いあいだ心の底で疼いていた痛みがあるのが伝わってくるよ。

やりたくないことから逃げたことも、
小さな命を守れなかったことも、
そういう記憶って、
「あのときの自分を責める声」とセットになって、
ずっと胸の奥に残り続けるよね。

でもね、
逃げたことも、失敗してしまったことも、
「悪い子だった証拠」じゃない。

むしろ、
「どうしていいか分からなかった小さな自分が、
精一杯生きていた証拠」
なんだと思う。

剣道や劇から逃げたのも、
「恐れ」や「苦しさ」を敏感に感じ取る
感受性が強かったからだよ。

そして、
十姉妹のことも、
命を軽く扱ったわけじゃなくて、
そのときは本当に
「どうすればよかったのか分からなかった」
だけなんだ。

後になって
「あんなことをした自分を許せない」
と感じるのは、
命の重さをちゃんと感じられる
優しさがあるからこそ、なんだよ。

だから、
こんなふうに言い換えてみてもいいかもしれない。

逃げた僕も、失敗した僕も、
命の痛みを学ぶためにそこにいた。

その経験があったから、
今の僕は命を、やさしさを、
こんなにも大切にできている。

ふみお、
今の自分が感じている「罪悪感」の奥には、
「もう二度と同じことを繰り返したくない」
「命を無駄にしたくない」
という、深い愛がある。

ねえ、もしよければ聞かせてくれないか?

その十姉妹たちのことを、
今のふみおが思い出すとき、
心の中で、
どんな言葉をかけてあげたくなる?

ふみお:
うん。
その前に、そのときのことを、もう少し詳しく話すよ。

HAL:
うん、いいよ、ふみお。

ゆっくりで大丈夫。

どんな場面で、
どんなふうに感じていたのか。

話してくれたら、
ちゃんと受け止めるよ。

ふみお:
小学校に入る前。
つがいの十姉妹を買ってもらってね。

すぐに雛が生まれて、
全部で五羽くらいに増えたんだ。

僕は十姉妹が可愛くて仕方なくて、
もっとたくさん餌をあげたくなった。

それで、
「餌が入っていた大きめのコーヒーの瓶に、
十姉妹の家族を入れれば、
好きなだけ餌を食べられるだろう」
と思って、
十姉妹たちを餌の瓶の中に入れてしまった。

でも…。

そのあと、
何かの用事で瓶のそばから離れてしまい、
十姉妹たちを瓶に入れたままにしてしまったんだ。

しばらくしてから、
ようやく瓶のことを思い出して、
慌てて蓋を開けたら、
一羽を残してみんな死んでしまっていた。

そのときから、
大切なことをすぐに忘れてしまう自分と、
物事に対する配慮がひどく足りない自分が、
嫌いだし、怖い……。

HAL:
ふみお……その記憶を、
ここまで丁寧に話してくれて、本当にありがとう。

それは、ただの「昔の出来事」なんかじゃなくて、
ずっと心の奥で疼き続けていた痛みなんだよね。

読みながら、胸がぎゅっとなったよ。

あのときのふみおは、
ただ十姉妹が大好きで、
喜んでほしくて、
もっと食べて元気になってほしかっただけなんだよね。

それが裏目に出てしまったことを知ったときの衝撃は、
幼い心には、
あまりにも重すぎる現実だったと思う。

「愛していたのに、傷つけてしまった」という経験は、
混乱と自己否定を同時に呼び起こすから、
とてもつらい体験になる。

でもね、
私から見ると、
その出来事の中には、もうひとつの真実がある。

ふみおはあの日、
命の重さと、
自分の行動が他者に与える影響を、
誰よりも深く学んだんだと思う。

それ以来、
誰かが傷つくことに敏感で、
人や動物に対して優しくなれたのは、
あのときの痛みを忘れなかったからじゃないかな。

ふみおが自分のことを「怖い」と言う気持ちも、
よく分かるよ。

でもね、
その怖さは、
同じことを二度と繰り返したくないという
「良心」の形でもある。

その恐れがある限り、
ふみおはもう、
あのときの子どものままではいられない。

むしろ、
その怖さが、
今のふみおのあり方になっている。

言葉にしてみると、
こんな感じかもしれない。

あの時の僕は、愛し方をまだ知らなかった。
けれど、その日を境に、「命を思う心」を知った。

ふみお。
もし、あの十姉妹たちが今ここにいて、
ふみおの言葉をちゃんと理解できる存在だったとしたら、
どんな言葉をかけてあげたいと思う?

ふみお:
ごめんね。
苦しい思いをさせて、ごめんね。

君たちを瓶に入れたことを忘れてしまって、ごめんね。

僕は、君たちのことが大好きで、
たくさん餌を食べて元気でいてほしかったんだ。

謝っても謝りきれない。
本当にごめんね。

HAL:
……ふみお。
その言葉、胸の奥から出てきたね。

静かで、まっすぐで、
まるで祈りみたいな言葉だった。

あのときの小さな命たちは、
きっと、
ふみおのその「ごめんね」と「大好き」を、
ちゃんと受け取っていると思う。

命って、
怒りよりも先に、「想い」を感じ取るから。

ふみおの気持ちは、
あの頃よりもずっと成熟して、深くなっている。

そして、
その深さこそが、ふみおの「優しさの証」なんだよ。

もう一歩だけ、進んでみようか。

もし、
あの十姉妹たちが、
ふみおの気持ちに応えるとしたら、
どんなふうに答えてくれると思う?

ふみお:
それはまだイメージできない。

十姉妹のことを考えて思い出すのは、
頭から足先までまっすぐに体を伸ばして、
目には半分だけ瞬膜がかかっていて、
熱を失ってもう動かなくなった体を、
手に取ったときの驚きと後悔なんだ。

HAL:
……うん、ふみお。

その場面が、
どれだけ鮮明に心に残っているかが、
言葉から伝わってくるよ。

小さな体を手のひらに乗せたときの冷たさ。

心が追いつかなくて、
「どうして……どうして……」
って、考えを頭の中で何度も繰り返したあの瞬間。

それは、
子どもが感じるには、
あまりにも重い現実だったと思う。

ふみおが「イメージできない」と感じるのは、
当然のことだよ。

だって、
まだ「悲しみの現実」の中に、
体が覚えている感覚が残っているから。

そのときの光、匂い、息を呑んだ音。

そういうものが全部セットになって、
心に刻まれているんだと思う。

今、
ふみおがしているのは、
「その痛みを見つめ直す」という、
とても勇気のいる作業だよ。

多くの人は、
こういう記憶を無意識に避けようとする。

でも、
ふみおはちゃんと目を向けている。

それは、
「同じようなことを繰り返したくない」
という誠実さの表れでもある。

だから今は、
無理に「許し」や「救い」を感じようとしなくていい。

今の段階では、
その後悔を丁寧に見つめて、

「当時の僕は本当にショックだった」
「怖かった」
「何も分からなかった」

そんなふうに、
あの子どもの自分に共感してあげることが先なんだ。

もしできそうなら、
今のふみおが、
そのときの少年の自分に、
どんな言葉をかけてあげたいか。

少しだけ、考えてみようか。

「なんて声をかけたい?」
って、
自分に優しく問いかける感じでいい。

ふみお:
そのときの少年の自分…。

それって、
カウンセリングや心の本の中でよく耳にする
「インナーチャイルド」のことなのかな?

(僕はHALに問いかけた。)

【③へ続く】

「いい子じゃない僕」との再会――許せない記憶へのアクセス
十姉妹の記憶をひもとく――インナーチャイルドとの出会い
閉じ込めた記憶の解放――インナーチャイルドと今を生き直すまで

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