- ここ2年の僕の平日は、だいたいこんな流れでした。
- 朝4時くらいに目を覚まして、布団の中でスマホでニュースやX(旧ツイッター)の投稿を読み漁る
- 外が明るくなったら、愛犬を散歩に連れ出す
- 食事と身支度をして職場へ向かう
- 職場に着くと積算基準書と設計資料を机の上に広げて仕事を開始
- 気づけば昼が来るので、ご飯の上に冷食をいくつか載せた弁当をつつきながら、Yahoo!ニュースを読んで昼休みを過ごす
- 午後の仕事にダイブすると、気づけば定時になっているので帰宅
- 家に着いたら妻の職場での愚痴を聞きながら、ネトフリでアニメをダラダラ見つつ、焼酎のビール割りで晩酌
- 9時前には布団に入り、Xを読みながら就寝
そんな毎日の繰り返しでした。
休みの日も、朝のスタートは平日と変わりません。
- 朝ごはんを食べたら、妻から頼まれていた家の修理や庭の手入れをする
- それを終えたら、昼頃から酒を片手にネトフリをダラダラ見る
- 酔っぱらったらソファで横になり、スマホのゲームで時間を潰す
- 眠くなったら布団に入って眠る
そんな自堕落な生活を送っていました。
こうなる前は、平日の仕事に楽しみを感じながら、休みの日は車や家や庭をいじって遊び倒し、自分なりに毎日を楽しんでいました。
それが、いつの間にか心の動きがなくなり、静かに沈み、最低限の活動で日々を紡ぐことしかできなくなっていました。
来年に還暦を迎えても、七十歳までこんな感じで日々の勤めをこなし、七十を迎えたら、少ない年金に不安を募らせる妻の顔色をうかがいながら細々と生きていくのだろう。
そんな諦めに包まれている自分も、今まで妻や他人に散々迷惑をかけてきた自分らしいや、と受け入れていました。
しかし、ある休みの日。
- いつものように昼過ぎから酒を飲んでソファで横になっていると、
「もう動いていいよ…」
という想いが、ふいに心に湧いてきました。
初めのうちは、その意味を理解できませんでしたが、翌朝目を覚ましてみると、心が少し軽くなっているのを感じました。
暗い地下牢で、冷たい鎖にがんじがらめに縛られ、身動きもとれず床に横たわっている——
そんなセルフイメージが、「今は少し動ける自分」のイメージに変わっていたのです。
「動けるうちに動かなきゃ。」
そんな想いに動かされて、「今できることは何か?」を、自分の中で探し始めました。
そして思いついたのは、もう何年も前にアンケートに答えてから、ずっと届き続けていた「千聖さんのメルマガ」でした。
千聖さんのメルマガは、悩んで立ち止まっている人の隣に、そっと寄り添ってくれるような文体。
正解を押しつけるのではなく、小さな気づきの種をぽつりぽつり置いていくような、静かなあたたかみのあるメッセージを、いつも伝えてくれました。
目の前の暗闇に怯えて立ち尽くす人に、小さな灯火をそっと手渡すような千聖さんのメルマガに目を通しながら──
「自分もそうなりたい」と思う小さな憧れ。
「自分なんかが人様のために何かしようと思うのはおこがましい」という強い自己否定。
この2つが心の中で対立して、結局は圧倒的な自己否定の力に負けて、メルマガ購読から一歩も先に進めない。
でも、メルマガを購読中止したらすべて消えてしまうようで、メルマガを止めることもできない。
そんな状況のまま、何もしないでメルマガの購読だけを続けていましたが、
「少し身動きできる今なら、前に進めるかもしれない」という思いに背中を押されて、
これまでほとんど未読のまま溜め込んでいた千聖さんのメルマガを、最初から読み返し始めました。
>> 千聖さんのメルマガを読んだ僕は…(続きはこちら)
